
日本語音声学 / 撥音
01核心:場所を持たない鼻音
アーキフォニーム / archiphoneme
「ん」の最大の特徴は、固有の調音位置を持たないことです。 /N/ という一つの音素ですが、実際の調音は後続音に 同化(assimilation)して決まります。 だから単独の音として取り出しにくく、「次に何が来るか」で姿を変えます。
もう一つ重要なのは、これが1モーラ(1拍)を占める点です。 子音でありながら拍の核になれる 音節主音的子音(syllabic consonant)で、 これが日本語のモーラ拍リズムを支える要素の一つになっています。 「かん」が2拍、「かんかん」が4拍と数えられるのはこのためです。
02後続音による異音
同じ /N/ が、直後の子音の調音位置に引き寄せられる
| 後続環境 | 異音 | 調音 | 例 |
|---|---|---|---|
| /p, b, m/(両唇) | [m] | 両唇鼻音 | さんぽ [sampo]・しんぶん |
| /t, d, n, r/(歯茎) | [n] | 歯茎鼻音 | かんたん・おんな |
| /k, g/(軟口蓋) | [ŋ] | 軟口蓋鼻音 | りんご [riŋɡo]・まんが |
| /ɲ, ʃ, dʒ/(歯茎硬口蓋) | [ɲ] 系 | 硬口蓋寄り | こんにゃく |
| 母音・半母音・/s, h/ の前、語末 | [Ṽ] / [ɴ] | 鼻母音/完全な閉鎖なし | ほんや・れんあい・ほん |
03細かい点
「ほんや(本屋)」「れんあい(恋愛)」では、舌が完全な閉鎖を作らず、 直前の母音が鼻に抜けた鼻母音 [õ] [ẽ] のような音になります。 ここでは [n] のような子音は実現されません。 摩擦音 /s, h/ の前も同様で、閉鎖の代わりに鼻にかかった母音的な渡りになります。
「ほん」を単独で言い切ると、舌の奥がさらに後ろ(口蓋垂)まで引かれた [hoɴ] になります。
つまり「ん」は、両唇 [m]・歯茎 [n]・ 軟口蓋 [ŋ]・口蓋垂 [ɴ]・ 鼻母音 [Ṽ] という幅広いレンジを、 後続環境に応じて連続的に行き来する音、とまとめられます。
04英語(崩し)との対照
英語の連続音声現象(崩し)と並べると、これは 逆向きの同化として整理できます。 英語学習者が苦労する歯茎鼻音 [n] と 軟口蓋鼻音 [ŋ] の区別(sin / sing)は、 日本語では「ん」一つに溶け込んでいて意識されません。
母語の /N/ が「次の音任せ」で勝手に決まる体験しかないため、英語で [n] と [ŋ] を 意図的に作り分けるという操作自体が、 新しい運動課題になる——という説明につながります。